センター試験の思い出

人生にターニングポイントと呼べる瞬間があるとしたら、私にとってそれはセンター試験だ。

10年以上前の1月、朝から雪が降っていた。東京だから滅多にないのに。そういえば去年も雪だったな、何かの運命かな、とぼんやり思った記憶がある。

浪人して、1年ぶり2度目の受験だった。


現役で受けた大学は全敗。初めてのセンター試験も散々だった。

勉強を全くしていなかったから当然の結果。でも、それまで順風満帆に走っていた「人生のレール」から脱線したというか、レールそのものが消失したような途方もない虚無感に襲われたのを覚えている。初めての経験だった。

国公立後期の不合格を見届けた後、親に懇願して浪人生となった。それからは、怠惰だった高校3年間を取り戻すかの如く、予備校で朝から晩まで勉強漬けの日々を送った。

心を入れ替えた、というと語弊がある。気を抜くとまた現れる虚無感が怖くて仕方なかった。眠る前に漠然とした不安に襲われる夜も幾度となくあったし、浪人生という以外に肩書きがない不安は常につきまとった。それらを紛らわすには勉強しかない、それだけだった。

見失ったレールの続きは、この大学受験の先できっと見つかる、そんなすがる思いで過ごした1年間だった。


迎えた2度目のセンター試験本番。

前日、私は例に漏れず緊張していた。布団に入っても「また散々な結果だったら?」と失敗する未来ばかり想像した。でも気がつくと熟睡していて、朝になって我ながらその図太さに驚くとともに、「もうなるようになれ」と吹っ切れた。

試験会場は大学の大講堂で、私の席は最前列だった。目の前の教壇には複数の試験官がいて、無駄に緊張したのを覚えている。でも、今思えば視界に他の受験生が入らないぶん、試験に集中できて良かったのかもしれない。

そう、後でわかることだけど、試験結果は控え目に言って上出来だった。各科目で凸凹はあったものの、総合では過去のどの模試よりも良い点数だった。

ただ、2日間の日程を終えた直後はそんなこと知る由もなく、とにかく安堵した。やりきったという達成感と微かな手応えもあった。そして何より、今日この日に実力を出し切れた「環境」に感謝していた。

そうだ、これは環境のおかげだと、なぜかそのとき唐突に悟った。あれだけ勉強してきたのに、自分の頑張りだとか、努力の賜物だとは一切考えず、今この場所にいることが全てだと感じた。

思えば1年前、両親が浪人を許してくれたことに始まり、予備校に通えたこと、長い間勉強に専念できたこと。応援してくれる人がいたこと。健康でいれたこと。今日、雪の中交通機関が動いてくれたこと。そして、無事にこの会場で受験できたこと。

どれも当たり前じゃないし、これを「運が良かった」の一言で片づけるのは勿体ない。私一人の力ではどうにもできない、有り難いことばかりではないか。

そんな当たり前のことに気付いて、私はいてもたってもいられなくなった。この感謝の気持ちを今すぐ誰かに伝えたい。そう思って、全科目が終わり皆が一斉に会場を後にする中、私は出口とは真逆の、試験官のいる教壇に向かった。

「2日間、お世話になりました。ありがとうございました」
「ああ、こちらこそ。帰り道、気をつけて」

短く他愛のないやりとり。でも私はそのとき、この瞬間を一生忘れないだろうと思った。


ここからは蛇足という名の後日談。

センター試験で勢いに乗った私は、一般入試でマークミスした1校以外の全て(5大学7学部)に合格。翌春、晴れて大学生になった。

合格校の中には前年に受けた国公立大もあり、当初はそこが第一志望だったものの、入学直前で進学先を私大に変更した。理由はいくつかあるけど、一番は立地(都心か郊外か)という仕様もないことだった気がする。

結局、私大は一般入試だったのでセンター試験は合否に関係ない。でも、今でも大学受験を振り返ると真っ先に思い出すのは、あの最後に試験官と交わした短いやりとりだ。

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