過去の代償

私がわたしのことをどんなに嫌悪しても、貶しても、責めても、憎んでも、時間は万人に等しく同一方向に進んでいく。むやみに感傷に浸ったり後悔して過去を引きずった時間は、その後の自分にとって何らかの価値があったとしても、相対的には立ち止まっていることに他ならない。時間も、人も、環境も待ってくれない。

そんな相対的な不出来さからの劣等感を常に抱きつつ、消えるどころか徐々に大きくなるそれを直視するのが辛くて耐えられず、私はただただ何もしなかった。結果が伴わなくても、努力しようとすればまだ救われたかもしれない。でも何かをしようともしなかった。する気力がちっともわいてこなかったから。自分のために生きる人生に、価値を見いだせなかったから。

それでも時間の経過とともに、周囲は変わらない私を置いてどんどん変わっていく。これまでは辛うじて傍観者で許された領域も、主体性と責任を求められるようになる。もちろん、相対的な立場を考えれば、当然のことと頭では理解しているつもり。ただこれまで散々停滞していた分、要求を受け止める器がないだけだ。

そんな自分に悲観して、私はまた立ち止まる。この負の循環をもう何度繰り返しただろう。この先、抜け出す契機はあるのだろうか。

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